藤原 公 任。 藤原氏北家〔良房裔〕

藤原公任 ――歌論、和歌とその朗読

《現代語訳》 大宅世次 「この公任卿が、一度うっかりした発言を仰ったことでした。 山士家左伝編 東明会、1883年9月。 維摩経十喩、此の身は水の泡のごとしといへる心をよみ侍りける ここに消えかしこに結ぶ水の泡のうき世にめぐる身にこそありけれ (千載1202) 【通釈】ここに消えたかと思えばあそこに出来る水の泡のように、現世に輪廻転生する我が身なのだ。 承平2年正月27日(ユリウス暦:932年3月6日)兼近江介。

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藤原公任とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

なお、寛和2年(986年)10月に行われた円融上皇の大井河遊覧では、に・・管弦の3艘の舟に名人を乗せて芸を競わせたが、公任はと共に3舟に併せ乗る名誉を得た。 時代が下ると、褒美の品目も十種に増える。 関白太政大臣頼忠の子。 刑部大輔。

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藤原氏北家公季孫(閑院流)

栄華を極めたはずの一家があっけなく敗れ去っていく現実。 公信も5月8日頃より流行の病に罹り、15日に50歳で薨去した。 従一位・右大臣。 女院記作応和3 963 年・ 本朝謚号雑記作応和2 962 年〕。 父親の頼忠や姉の遵子が 勅撰歌人 ちょくせんかじん(天皇の勅命による歌集に歌が掲載された名誉ある歌人)にという恵まれた環境の中で公任の歌人としての才能は大きく開花。 母四品弾正尹人康親王女。

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藤原公任

9日如旧為頭。 正三位・権中納言。 なおこの歌は拾遺集449に重出。 生没年:694-737 父:右大臣 初名:馬養 716 遣唐使 716 従五位下 719 正五位下 719 正五位上 719 常陸守 721 正四位上 724 式部卿 724 持節大将軍 724 従三位 参議 大宰帥 732 西海道節度使 734 正三位 妻:石川国咸大刀自(父:石上麻呂) ?-740 大宰少弐 広嗣 716-777 妻:高橋阿禰娘(父:高橋笠朝臣) 716-777 妻:小治田功麿男牛養女 722-783 従二位按察使参議右大臣大宰大弐大納言 田麻呂 妻:久米若女(父:久米奈保麻呂?) 732-779 妻:佐伯家主娘(父:佐伯徳麻呂) 733-775 女: ?-740 娘(内大臣 室) 娘(参議 室) 掃子 生没年:716-777 父:正三位 初名:宿奈麻呂 746 従五位下 越前守 上総介 相模守 上野守 民部少輔 右中弁 造宮大輔 764 従五位上 764 従四位下 764 正四位上 764 大宰帥 766 従三位 770 参議 770 正三位 770 中納言 771 内臣 777 内大臣 777 贈太政大臣従一位 妻:安倍古美奈(父:) 760-790 乙牟漏(皇后) 妻:蓼原氏 768-? 長枝 女: 詫美 娘(参議 室) ?-809 人数(中務大輔 室) 娘(従三位参議 室) 娘(左大臣正一位 室) ?-786 藤原諸姉(藤原百川室) 生没年: 父:正三位 妻: 生没年: 父: 妻: 丹波守 葛守 内舎人 宗成(子:大和守 潔雄) 生没年: 父: 刑部大輔 妻: 出雲守 貞根(子:藤仲、秀行) 肥前守 正雄 生没年: 父: 周防守 妻: 生没年: 父:周防守 右少将 妻: 肥前守 藤宗 大和介 秀行 生没年: 父:右少将 上野介 妻: 大宰大監 時直(子:伊予介 惟範) 時範(以下保留) 生没年:732-779 父:正三位 山陽道巡察使 中衛大将参議 贈太政大臣従一位 妻: 774-843 伊予守従三位 緒業 727-788 旅子(女御) 生没年:774-843 父:参議 正二位 左大臣 妻: 左兵衛督 家緒 左中将 本緒 備前介 忠宗 正子(女御) 娘(刑部卿正三位 室) 生没年: 父:正二位左大臣 刑部卿 妻: 常氏 常仁(子:高臣) 伊勢介 常数 修理大夫 在数 845-917 生没年:845-917 父:刑部卿 太皇太后宮少進 左少弁 讃岐守 修理大夫 参議 妻: 873-947 相模権守大蔵大輔 忠館(子:出羽介 利方、越後権守 惟清) 相模介 忠家 甲斐介 忠衡 生没年:873-947 父:参議 丹波守 参議 修理大夫 民部卿 征東大将軍 征西大将軍 妻: 備後守木工頭 滋望(子:出雲権守 正衡、大膳大夫 相親) 生没年:716-777 父:正三位 妻: 737-785 生没年: 父: 周防守 妻: 時継 賀備能(以下保留) 常江 生没年:737-785 父: 中納言 左衛門督 按察使正三位 784-785 造長岡宮使 妻: 山人(以下保留) -810 藤生(以下保留) 糸曼麿(以下保留) 世嗣(以下保留) 東子(女) -810 尚侍典侍正三位 薬子 生没年:-810 父:按察使正三位 兵部大輔 大蔵卿 大宰大弐 810 薬子の変 妻: 藤主(子:万侶) 生没年:733-775 父:正三位 大宰帥伊予土佐按察使 近衛大将 左京大夫 参議従三位 妻: 宗継 760-817 -830 従三位大蔵卿 浄本 大蔵少輔 八綱(子:大膳大夫備中守 清澄) 762-847 生没年: 父:参議従三位 木工頭 妻: 生没年: 父:木工頭 豊後守 妻: 駿河守 近氏(子:世常、治部丞 良広) 美濃介 氏影(子:越後介 貞松) 氏助 氏門 氏明 生没年: 父:豊後守 石見守 妻: 丹波守 喜会 春宮少進 遠視(子:阿波守 方頼、尚頼) 生没年: 父:石見守 上野介 妻: 常陸介 公泰(子:縫殿頭 清公) 生没年: 父:参議従三位 豊後守 妻: 民部大丞 定代(子:美濃介 良積) 日向守 定挙 縄主家系 生没年:760-817 父:参議従三位 大宰帥 西海道観察使 兵部卿中納言 従三位 妻: 上野介 貞吉 筑前守 貞庭(子:加賀守 基興) 生没年: 父:中納言従三位 大蔵大輔 妻: 生没年: 父:大蔵大輔 肥前守 因幡守 妻: 出雲守 真房 興氏(子:周防守 望江) 真湛 生没年: 父:因幡守 弾正大弼 参議大宰大弐 妻: 生没年: 父:参議 常陸介 信濃守 妻: 下野守 仲文(子:聡亮) 仲陳 生没年: 父:信濃守 備中守 妻: 右兵衛佐 時方 因幡守 時成(子:信隆) 生没年: 父:大蔵大輔 肥後守 妻: 生没年: 父:肥後守 宮内大丞 妻: 方尚 生没年: 父:宮内大丞 越後守 妻: -1101 越後守 高尚(子:能登守 仲田) 生没年:-1101 父:越後守 大内記蔵人 -1101 因幡守 妻: 生没年: 父:因幡守 山城守 肥後守 妻: 生没年: 父:肥後守 文章博士式部少輔 大学頭右京大夫 妻: (養子) 1045-1106 (敦基家系へ) 1062-1144 (敦光家系へ) 明暹 生没年: 父:菅原明任 義父:右京大夫 相模守 妻: 文章博士右京大夫大内記 経衡 俊慶 阿闍梨 慶明 生没年: 父:相模守 駿河権守 妻: 信成 勘解由判官 信光(子:九条院判官代 親光) 阿闍梨 慶明 生没年: 父:相模守 修理亮 妻: 主殿助 光成(子:佐政、光倫) 敦基家系 生没年:1045-1106 父:右京大夫 文章博士式部大輔 大内記右京大夫 妻: 1074-1143 敦兼 実信 大監物 周光(子:有亮、大監物 資定) 阿闍梨 心覚 生没年: 父:右京大夫 文章博士 式部少輔 下総守 妻: -1183 文章博士弾正大弼 敦周(子:明宗、皇后宮少進 敦直、雅周) 敦重 明宗 生没年: 父:下総守 文章博士 式部少輔 妻: 八条院判官代 基周(子:経業) (養子)文章博士大内記 敦倫(父:元重) 敦兼 生没年:1074-1143 父:右京大夫 文章博士 大内記 妻: 1095-1169 1110-1185 基業 敦景(子:俊基、朝海) 娘(子:権少僧都證遍) 生没年:1095-1169 父:文章博士 大内記 大膳権大夫 妻: 遠業 後白河院蔵人 佐明 後白河院蔵人 仲明 敦呂 明寛 生没年: 父:大膳権大夫 越後権守 妻: 八条院蔵人 兼範 上西門院蔵人 光倫 後白河院蔵人 敦盛(子:盛親、法印大僧都 厳遍) 小野法印権大僧都 賢遍 生没年:1110-1185 父:文章博士 内蔵権頭 1185 出家 妻: -1193 太皇太后宮大進 敦通 -1207 生没年:-1207 父:内蔵権頭 太皇太后宮大進 妻: 倫輔(子:信倫) 式部少輔内蔵権頭 忠倫(子:家倫、阿闍梨 聖観) 正業 生没年: 父:文章博士 式部少輔 大舎人助 河内守 妻: 出羽守 朝時 勧学院学頭 敦定 敦直 生没年: 父:河内守 民部大輔 弾正大弼 妻: -1289 保範 保宣 生没年:-1289 父:弾正大弼 正三位宮内卿 妻: 皇后宮大進 長藤 大学助 長世(子:合光、長弁) 敦継 忠敦 長英(子:英房、師房) 敦光家系 生没年:1062-1144 父:右京大夫 文章博士大学頭 右京大夫式部大輔 妻: 1099-1177 1103- 1111-1180 散位 邦光(子:光俊、成俊) 淳仁 喜覚(子:寛喜、喜円) 光縁 明覚 顕豪 阿闍梨 光猷 頼円 娘 生没年:1099-1177 父:式部大輔 若狭守 摂津守 大学頭 妻: 鳥羽院蔵人 光親 有範 有遠 有豪 生没年: 父:大学頭 皇后宮少進 妻: 図書助 有雅 有俊(保留) 有実(保留) 生没年: 父:皇后宮少進 式部大輔 大内記 妻: 親倫 倫尊 生没年: 父:式部大輔 式部少輔 越中守 大内記 妻: 若狭守 敦有(子:長門守 敦遠) 敦清(子:敦兼) 伊豆守 敦重 生没年: 父:大内記 対馬守 刑部少輔 妻: -1322 因幡守刑部少輔 敦雄 但馬守 敦右 伯耆守 敦藤 生没年:1103- 父:式部大輔 文章博士 内蔵頭 陸奥守 1175 出家 阿念 妻: 1128-1179 倫能 -1205 光茂 経忠 覚良 生没年:1128-1179 父:陸奥守 太皇太后宮大進 文章博士 肥後守 妻: 院蔵人 長綱 長親 長宗 生没年: 父:肥後守 筑前守 妻: 肥後守 長経(子:治部少輔 光世) 行長 審聡 生没年: 父:陸奥守 文章博士 大内記 式部少輔 妻: 長倫(保留) 生没年: 父:式部少輔 内蔵権頭 妻: 内蔵権頭 宗衡 左近将監 長継 少僧都 承源 生没年:-1205 父:陸奥守 越前権守 妻: 大学頭民部大輔 光清 民部大輔 長清(子:常陸介 明清、長高) 生没年: 父:越前権守 妻: 対馬守 為清(子:信濃守 範長、出羽守 兼清) 生没年:1111-1180 父:式部大輔 豊前守 右京大夫 式部大輔 文章博士 妻: 右衛門大夫 能成(子:式部少輔 能光(子:光嗣)) 親成 氏院学頭 成永 生没年: 父:式部大輔 判官代 筑前守 妻: 経衡 生没年: 父:筑前守 内蔵頭大学頭 式部少輔 妻: 修理進 俊光 大学頭 定光 式部少輔 正国(子:筑後守 行光) 中宮少進 光基 阿波権守 光隆 光長 生没年: 父:式部大輔 大内記文章博士 弾正大弼 大学頭 修理亮 妻: 大内記 成倫(子:兼藤) 1194-1266 大内記宮内少輔 成兼 (養子)信濃守 範長(父:為清) 律師法眼 成誉 生没年:1194-1266 父:修理亮 東宮学士式部大輔 従二位 妻: 大学助式部丞 信兼 (養子)春宮蔵人 成倫 祖禅 生没年: 父:従二位 式部大輔正二位 妻: 木工権頭 光顕(子:左馬助 邦成) 式部大輔文章博士従二位 家倫(子:兼尚) 文章博士 敦継(子:基継) 肥前守 倫光 惟兼 生没年: 父:式部大輔 式部少輔 妻: 刑部少輔甲斐守 季宗 刑部大輔 成行 成綱(子:季宗) 縄継家系 生没年:762-847 父:参議従三位 右京大夫 左兵衛督 正三位参議 神祇伯 兵部卿 民部丞 妻: -848 吉永 生没年:-848 父:正三位参議 皇后宮大夫右兵衛督 式部大輔参議春宮大夫 右大将美作守正三位 中納言大宰帥 妻: 神祇伯 良近(子:美濃守 高用) 神祇伯 延命 生没年: 父:大宰帥 刑部大輔 妻:(父:従三位刑部卿 ) 生没年: 父:刑部大輔 土佐守 妻: 下野介左兵衛尉 茂永(子:茂香) 生没年: 父:大宰帥 土佐守 妻: 安芸守 ?実(子:大僧都 禅喜) 生没年: 父:大宰帥 土佐守 常陸守 妻: 本行 生没年: 父:常陸守 妻: 生没年: 父: 右京大夫 近江守 妻: 飛騨守 公将 近江守 公康 生没年: 父:近江守 左衛門佐 文章博士 妻: -1001 生没年:-1001 父:文章博士 大和守 勘解由次官 妻: 1004-1041 生没年:1004-1041 父:勘解由次官 侍読東宮学士 大和守左大弁 妻: 下総守 忠棟 (養子)(父:源仲舒) -1054 下総守 忠宗 定実 娘(土御門天皇 女房) 生没年: 父:源仲舒 義父:左大弁 土佐守 妻: 阿闍梨 俊経 阿闍梨 範覚 生没年: 父:土佐守 式部少輔 河内守 妻: (義父:中宮亮 ) 顕遠 忠基 仲義(子:中務丞帯刀 義清) 生没年:-1054 父:左大弁 大学頭 越中権守 左大弁 妻: 公高 忠円 生没年: 父:越中権守 雅楽少允 妻: 文章博士 義康 義能(子:光忠) 生没年: 父:左大弁 越前守 妻: 氏良 寂楽寺別当 忠覚 生没年: 父:越前守 左馬助 二条関白家勾当 妻: 為忠 関白家勾当 氏実 経円(子:寂楽寺別当 源経、経乗) 生没年: 父:正三位参議 蔵人 妻: 生没年: 父:蔵人 妻: 筑前守 良氏(子:筑前守 行明) 行葛 生没年: 父:越前守 三河守備中守 宮内大輔 中宮亮 妻: (養子) 太皇太后宮大進 国親(子:仲基) 阿闍梨 実賢 生没年: 父:河内守 義父:中宮亮 阿波守 妻: 阿闍梨 尊実 生没年: 父:阿波守 摂津守 妻: 阿闍梨 行秀 生没年: 父:摂津守 皇后宮大進 伊勢守兵庫頭 妻: 建春門院蔵人 高仲 範仲 範保 範雅 生没年: 父:兵庫頭 大蔵大輔 妻:(父:式部少輔 ) 蔵人 清保 生没年: 父:大蔵大輔 伊賀守 妻: 生没年: 父:伊賀守 石見守 妻: 左衛門尉 清氏(子:清春) 生没年: 父:伊賀守 淡路守 妻: 蔵人 重基 刑部大輔 清有(子:貞有、秀有、房仙) 生没年: 父:摂津守 院蔵人 妻: 後白河院蔵人 行職 (養子)(父:親盛孫顕盛) 定仲 源経 生没年: 父:院蔵人 妻: 邦俊. 代表歌 [ ]• 特に目立たなかった道長が一気に政界の頂点に上り詰めていく様子を見て、公任はある種の悟りの境地に至ったのかもしれない。 『宇都宮の歴史 増補新版』(徳田浩淳/著 落合書店 1979)「秀郷と百目鬼」• 中央に龍女、左は藤原宿祢。 地下家伝によれば、豊成の後裔とある。 天慶2年12月27日(ユリウス暦:940年2月7日)兼中宮大夫。

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藤原公信

讃岐守。 それに対して紫式部は、 「光源氏に似ていそうな人さえ見えないというのに、あの紫の上がここにいるわけないでしょ」 と相手にしなかったのだそう。

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藤原氏(南家真作流) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~

『漂泊の西行』(川村一彦/著 歴史研究会)• 高貴な生まれのプライドゆえに。 母従五位上藤原貞公女。 これは「」などで用いられている。 兼家の五男坊にすぎず、しかも受領階級の娘を母とする道長が、いとも簡単に位階を抜かしていく現実。

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